アプレイウスと『変身物語』

第1章を読みはじめる前に、作者のアプレイウスと、この小説について、少し知っておきましょう。

アプレイウス

アプレイウスは、紀元後125年ごろ、北アフリカのマダウラに生まれました。父は、町の二人役(duumvir)をはじめ、あらゆる公職をつとめた、町の第一の人でした。アプレイウスは、かつて自分を「半ばヌミディア人、半ばガエトゥリア人」と名のったことがあります。故郷が、ヌミディアとガエトゥリアの境にあったからです(『弁明』24)。

少年時代はカルタゴで学び、アテナイで学業を仕上げました。のちにカルタゴで行った講演では、少年時代をすごし、師について学んだのはこの町で、哲学の学派も、アテナイで固めたとはいえ、ここで始まったと述べています。また、ほかの人は文法と弁論の杯までしか飲まないが、自分はアテナイで、詩の、幾何学の、音楽の、弁証術の、そして飲みあきることのない哲学の杯を飲んだ、と誇っています(『フロリダ』18、20)。その後、ギリシアや小アジアを旅し、ローマで弁護人として働いて、アフリカにもどりました。

オエア(いまのトリポリと考えられている町)で病に倒れたとき、看病してくれたのが、年上の裕福な未亡人アエミリア・プデンティラでした。二人は結婚しますが、この縁組をこころよく思わない彼女の親族は、アプレイウスが魔術で彼女の心をつかんだと訴えます。裁判は158年ごろ、サブラタの町で、属州アフリカの総督クラウディウス・マクシムスの前で開かれました。その法廷での弁論が『弁明』(Apologia)として残っています。魔女と魔術の物語を書いたこの作者は、自分自身も、魔術の罪で訴えられたことがあるのです。

その後はカルタゴに住み、ギリシア語とラテン語の両方で講演をして、名声を得ました(『フロリダ』18)。亡くなった年は、わかっていません。残っている作品には、『弁明』のほか、講演のさわりを集めた『フロリダ』(Flōrida)、ソクラテスの神霊を論じた『ソクラテスの神について』、プラトンの教えをまとめた論考などがあります。

『変身物語』

『変身物語』は全11巻の小説です。語り手の若者ルキウスは、仕事でテッサリアへ向かいます(1.2)。魔術の国で好奇心にかられた彼は、宿の女中ポティスに頼んで、女主人の魔法の膏薬を持ちだしてもらいます。ところが、鳥になるつもりで体に塗ると、ポティスが膏薬の箱をとりちがえていて、ロバになってしまいました(3.24–3.25)。

ロバのルキウスは、まもなく盗賊にさらわれ、それから、シリアの女神の旅の司祭たち、粉ひき、園丁、兵士と、持ち主から持ち主へと渡っていきます。その間に、ルキウス自身の冒険のほかにも、恋や魔術や盗賊の話、笑い話がたくさん語られます。いちばん長いのは、盗賊の洞窟で老婆がとらわれの娘に語って聞かせる、クピドとプシュケの話です(4.28–6.24)。

第11巻で、話の調子はがらりと変わります。ルキウスは天の女王に祈り、夢に現れた女神イシスの教えにしたがって、その祭りの行列で司祭のさしだすばらの冠を食べ、人間の姿にもどります(11.13)。そのあとイシスとオシリスの秘儀を受け、ローマで神官の一団に加えられます(11.30)。その少し前、ローマの神官が夢で、「マダウラの人で、ひどく貧しい者」が送られてくると告げられます(11.27)。それまでギリシアの若者として語ってきた語り手が、ここで、作者と同じ町の人になるのです。

この小説の題は『変身物語』(Metamorphōsēs)ですが、アウグスティヌスは『神の国』第18巻で、アプレイウスが「『黄金のロバ』と題した本」のなかで、薬によって人の心のままロバになったことを、自分の身に起きたこととして「告げたのか、作ったのか」(aut indicāvit aut fīnxit)と書いています(18.18)。いまも『黄金のロバ』の名で、よく知られています。のちにボッカッチョの『デカメロン』には、アプレイウスの話が少なくとも二つ、イタリアに舞台を移して出てきます。

ギリシア語の『ロバ』

序文の終わりで、語り手は「ギリシア仕立ての物語」(fābulam Graecānicam)を始めると言います(1.1)。その言葉どおり、この話のもとはギリシア語です。ルキアノスの作として伝わった短いギリシア語の物語『ロバ』(Onos)は、同じ筋を、ずっと短く語っています。いまでは、ルキアノスとは別の人の作と考えられています。『ロバ』の終わりにはイシスは出てきません。ルキウスは、見世物の円形劇場で、そばを通る人の運ぶばらを食べて、人間にもどります(54)。

ポティオスという学者は、読んだ本の覚え書きを集めた『ビブリオテケ』で、パトライのルキオスという人の『変身物語』を取りあげています。その最初の二巻は『ロバ』とほとんど同じで、ポティオスは、ルキオスの長い作品を切りつめたのが『ロバ』だろうと推しはかっています(第129項)。

アプレイウスは、このギリシア語の話の場面をいくつか刈りこみ、そのかわりに、恋や魔術や盗賊の話、笑い話をたっぷり書き加え、まんなかにクピドとプシュケの話を置きました。各章の Stilus では、場面ごとに『ロバ』との違いを見ていきます。

写本

『変身物語』の写本はたくさん残っていますが、どれも、いまフィレンツェのラウレンツィアーナ図書館にある一冊の写本(Laurentianus 68.2、記号 F)から写されたものです。F は11世紀ごろモンテ・カッシーノで写された写本で、タキトゥスの『年代記』第11〜16巻と『同時代史』第1〜5巻も収めています。第9巻の終わりには、395年にローマで、397年にコンスタンティノープルで本文を読んで正したという、サルスティウスという人の書きこみが写されています。F のもとになった本は、少なくとも4世紀までさかのぼるのです。

この本の原文は、F に始まるこの本文を校訂した二つの版、ガセリーのローブ版とツィンマーマンのオックスフォード版によっています(「はじめに」)。